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ブレた写真が伝えるもの


アラスカで野生のグリズリーベアに遭遇したとき、ぼくはたったひとりで森の中にいた。しかも相手は4頭。親が、3頭の子どもを引き連れていた。

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距離は約30メートル。向こうもぼくの存在に気付いていて、少しずつ、様子を伺いながら、こちらへ向かってくる。

恐怖で、脚が震えていた。心臓の鼓動もよく聞こえる。「走ったり、背中を向けると追いかけてくる」と教わっていたから、目をそらさないようにしながら、少しずつ後ずさりした。

後ずさりしながらも、ぼくは無意識にカメラを向けていた。「撮りたい」という気持ちが恐怖心を上回った。ただ、足が震えていたから、何度かつまずいて、後ろに転びかけた。

しばらくして、グリズリーベアたちは森へ消えていった。そのことには安堵したが、撮った写真を見てガッカリした。見事にブレていたからだ。残念、手も震えていた。

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帰国後、あるカメラマンの方に、この悔しさを話すと、予想と異なることを言われた。

「良い写真じゃん」

「でも、ブレてますよ?」

「だからいいんだよ。伝わってくるよ」

瞬間の恐怖心が、伝わってくるというのだ。

それまでは、ブレたらすなわち失敗だと思っていた。単純にそういうわけでもないのか、と思い直すと、途端にこの「駄作」が愛おしくなった。

カメラの性能とか、知識とか、技術以外にも、写真の良し悪しを決める何かがあるのかなと感じて、素人のぼくは以前に増して写真が好きになった。

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