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21歳で渡米。プロダンサーを目指したSuto Sakiさんが講師になった理由


-01-
手術して気づいたこと

ダンス講師として、アメリカで15年間活躍したSuto Sakiさんが、身体のことについて真剣に意識したのは、2011年1月のことだった。

股関節の手術をすることになり、術後、さらに状態は悪化。思うように動かなくなってしまった身体に、もどかしさと苦しみを感じる日々。

「今まであんなに動いていたのに」

しかし思えば、ストレッチやマッサージなど、運動のあとのケアを、しっかりやっていなかった。疲労が蓄積して怪我や手術につながった。

一生ものの身体を大事にしなくっちゃ!

とSakiさんは本気で思った。そこから、自分の身体を使っての実験や研究が始まった。食生活も改善し、自分の身体の声と向き合い、状況を良くしていった。

-02-
20歳から始めたダンス

先日、ぼくはあることがきっかけで自分の食生活を見直さなくては、と思い立ち、「オーガニックについて学びたい」とSNSに投稿したところ、元NFLチアリーダーの佐竹美帆さんからメールが届いた。

「私のダンスの先生、オーガニックのことについて専門家並みに詳しいよ」

ぜひ紹介してください、とお願いし、埼玉県までお会いしに行った。

佐竹さんの言うとおり、Sakiさんはオーガニックのことについて詳しいだけではなく、こだわりを持って実践していて、有益なアドバイスをたくさんいただけた。

だけど、Sakiさんの特異な経歴も見過ごせない。とてもおもしろいエピソードを聞くことができた。

「ダンスは、いつから始めたんですか?」

「20歳のときから」

「随分遅いですね。それまでは何を?」

「高校までソフトボールをやっていてね。同級生がオリンピックにも出て有名になったけど、知っているかな? 高山樹里って」

「高山さん、ぼくの中学の先輩です(笑) もちろん年は随分離れていますが。たしか昔、母が取材したことあります」

「そうなんだ! 彼女と一緒にやっていたけど、ソフトボールは高校までと決めていて。『小学校の先生になりたい』と思って大学に進んだんだけど、あるとき『劇団四季』の公演を観る機会があって、そこで衝撃を受けちゃって。舞台でスポットライトを浴びる姿に、『これだ!』って思ったんだよね。『ダンスをやりたい』って強く思って、両親に『大学を辞めてもいいでしょうか』って聞いたの」

「大学を?」

「やると決めたらやらないと気が済まないから、もうプロを目指してやろうと思って。それで大学を辞めて、アルバイトしながら、ダンスのスクールに行き始めて。そこでは、周りの子たちに全然ついていけなくて、嫌なことを言われたり、辛い思いをしたこともあった。でも、必死に練習して、本番では完璧に踊って。『やればできるじゃん!』って周りの子たちも認めてくれて、仲良くなることができた」

「なんか、いい話なんですけど」

「それから、『ニューヨークへ行きたい』って思ったの」

-03-
恩師との出会い

「また突飛な」

「ダンスの本場はニューヨークだって聞いたから。また両親に相談して、行かせてもらった。『ブロードウェイ・ダンス・センター』という、世界中からブロードウェイやダンスのプロを目指して生徒が集まってくるダンススクールだった。恩師のシーラ(Sheila Barker)とは、そこで出会ったの」

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「恩師」

「ビギナーレベルでダンス留学に来た私にとって、最初はシーラのクラスはレベルが高くて、手も足も出なかった。シーラはダンス雑誌で表紙を飾ったりするほど、ダンス界では有名な人物なの。

はじめは、もう少し入りやすいクラスで自分の動きやテクニックを少しずつ磨いていった。そして半年くらい経ったある日。『よし、シーラのクラスにチャレンジしてみようじゃないか』と決意して、胸を借りるような気持ちで飛び込んだの。心臓はバクバクで、その日は後ろの端の方で踊ってた。

そしたら、信じられないことが起こったの。クラスの途中で、シーラが接近してきて、名前を聞かれて、’Saki’と答えたら、手を引かれて、いちばん前に連れて行かれた。どういう意図だったのか、真意は今でもわからないけど、私の中に何かがあると、思ってくれたのかな」

「気になる」

「その日のクラスで、彼女は私のポジションをたくさん直してくれて、『あぁ、この先生は私のこと見てくれてるんだ。すごく嬉しいな』って思った。その日から、私は週に8回あった彼女のクラスを、とにかく全部受けるようにした。

ダンスはすごく難しかったけど、シーラの言うことは、意味がわからなくてもとにかく真剣に聞いて、具合が悪くても、怪我をしたときでも、迷わずスタジオに行った。何度も何度も、愛のムチで泣かされて、どん底に落ちた事もいっぱいあった。ひとりで悶々と悩んだ時期もあったけど、それでも上手くなりたい、シーラの気持ちにも応えたいって思って、どん底から這い上がってきた。

そして24歳のときに、思ってもみない事件が起きたの」

-04-
講師としての才能

「事件」

「スクールの校長室に呼ばれて、シーラと入ったの。そしたら、『Saki、ダンスを教えてみない?』って言われて。そんなの絶対無理!って思ったの。英語だってまだちゃんと話せないし。でもシーラは『英語ができない? そんなの、誰が気にするっていうの?』って簡単に流されて。『Sakiにダンスを習いたいと言っている生徒もいるんだ』って言われた。信じられなかったけど、とりあえず一回、クラスで教えてみた」

「そしたら?」

「衝撃だった。教えることが、あまりに楽しくて」

「でも、待って。それって、自分がプロのダンサーになる夢を諦めるってことですよね? 舞台でスポットライトを浴びたいと思ってダンスを始めたのに、すごく覚悟のいる決断じゃないですか?」

「そうだね。でも、不思議とこれでいいって思えた。うまく踊れない人に、こうするんだよと教えて、踊れるようになる。その喜びは他に変えられないもの。私はダンスを始めたのが遅くて、『感覚で踊る』ことができなかった分、努力してひとつひとつ身につけていった。だから、」

「習得した技術を、言語化できで、それが教える力につながったんだ」

「まさにそう。ニューヨークで数年間教えて、 そのうちシーラから独立したいという想いが募って、サンフランシスコでダンスカンパニーを創立して、教えていったの。怪我がきっかけで今は日本に戻ってきているけど、毎年2回は、アメリカに帰ってる」

「何か今後の目標とか、あるんですか?」

「とくにないかな。あんまり先のことは考えなくて、毎日を、今この瞬間を楽しむようにしてる」

その日の帰り道、「人生とは今日一日のことだ。 あなたが確実に生きられる唯一の人生は今日なのだ」という文章を目にし、Sakiさんの言葉を思い出した。

Sakiさんは、今日もどこかで、今この瞬間を楽しんでいる。

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